【国宝級遺産】第二次世界大戦(沖縄戦)経験者が語る世にも恐ろしい戦争体験談②

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こちらは戦争体験記パート②となっております。まだ①をご覧になっていないようでしたらこちらからご覧ください。

【国宝級遺産】第二次世界大戦(沖縄戦)経験者が語る世にも恐ろしい戦争体験談①

 

私達は首里の野戦病院に到着したが、ここは重傷患者が入り口までベットが並べられていて身動きできない有り様。私達は一夜を明かして南風原の野戦病院へとさらに退く。

しかしここも負傷した軍人で満杯である。

私達はさらに南部武富を目指し後退。歩きながら下がりながら途中キャベツ畑に入ってキャベツをもぎ取り歩きながらかじった。

 

数時間後に武富の野戦病院に着いた。中は大きな自然壕でしたが、各方面からの負傷者が来ていて、ここも満杯である。

しかしなんとか割り込んで2日間の休息は取ったが、首里方面の戦況が悪化を増し、私達はさらに南部喜屋武山城へと、歩ける患者は一緒に50〜60名後退していった。

 

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数時間後、喜屋武山城に着いたが、もうここから退がるところはない。ここが沖縄の最南端だ。

ここが私達の死に場所と決めていた。この後2日間はなんとか過ごしたが3日目の夜は摩文仁にいる兵隊へ食糧を運びに駆り出され食糧を背に7〜8名の兵隊と共に喜屋武岬を通って行くと、そこはもう地獄そのもの。

中南部から避難して来た民間人と逃げ惑う日本兵。ほとんど負傷した兵隊と負傷した民間人。そこら一面死体もゴロゴロしているが人々は見慣れていて気にも留めない。ただ逃げ場や隠れ場所を探して右往左往しているだけ。

どうすれば最後まで生きられるか、ただそれだけしか頭にない。しかしほとんどの人々は覚悟を決めていた。

皆無言、物言う人は一人もいない。負傷した兵隊達が彼らの小隊長に「もう動けないから殺してください」と願い出るものが続出し、小隊長と呼ばれた兵隊は手榴弾を発火して胸に抱けと命じると待ってましたと言わんばかりに次々と自爆していった。

まさに地獄絵さながらである。ここでも重傷者は大声を張り上げてわめき散らしていた。それこそ阿鼻叫喚地獄であった。

 

私達はここにいられないので今来た道を引き返して山城の壕に帰った。

【国宝級遺産】第二次世界大戦(沖縄戦)経験者が語る世にも恐ろしい戦争体験談③

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