【国宝級遺産】第二次世界大戦(沖縄戦)経験者が語る世にも恐ろしい戦争体験談③

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こちらは戦争体験記パート③となっております。まだ②をご覧になっていないようでしたらこちらからご覧ください。

【国宝級遺産】第二次世界大戦(沖縄戦)経験者が語る世にも恐ろしい戦争体験談②

 

喜屋武岬と摩文仁の間は、艦砲と迫撃砲、空からはトンボが機銃掃射である。夜は照明弾であたりを照らし海からは掃海艇で陸地めがけて機銃掃射で本当に悲惨な有り様。

あと数時間で全ては陥ち終わるであろう。この夜は12時に夜陰に乗じて一斉に切り込みに出て行った。

 

幸か不幸か私はいつの間にか寝入っていた。切り込み隊が出て行くのも気づかなかった。私が気が付いた時には壕の入り口が明るくなっていたので、夜が明けているのが解ったが物音ひとつない。

誰かいるかもしれないと思い声を出して呼んだが返事がない。私は一人でいるわけにもいかず壕の外へ出ようと思い入り口の方へ行くと、入り口は兵隊の死骸が折り重なって倒れている。私は仕方なく折り重なった死体の上を一歩ずつ進み踏みしめながら外へ出た。

約150m位置に井戸があり、そこに入って水を汲んで飲んでいると外の方でぼうぼうと音がするので井戸から頭を出して覗くと、私が今出て来た壕の入り口から中の方にかけて、米兵3名が雑談しながら火炎放射器で焼き払っているところだった。

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私は九死に一生を得たのです。

もし壕から出るのをためらっていたなら、私もしたいと共に焼き払われていたでしょう。

 

その辺りは日本人は一人も見えない。ただ米兵達がうろついている。そのうち私は米兵に見つかり、自動小銃で射撃されたが運良く一発も当たらなかった。

このままではいずれ彼らに射たれる。どうせこの身は終わりと覚悟を決めてトラックの修理をしている4,5名の米兵の前へ手を挙げて出て行った。そこで私は捕虜となる。

午後になって屋嘉収容所へ連れられた。

 

 

戦争は嫌です。戦争ほど悲惨なものはない。絶対に戦争を起こしてはならない。そのためにも子供達に戦争の悲惨さを語り伝えていきたい。

 

 

…以上が、僕のおじいちゃんが遺した第二次世界大戦(沖縄戦)の体験記です。これほど生々しい体験談は見たことがありません。

おじいちゃんの方には大きなくぼみが戦傷として残ってたのをはっきり覚えています。あのくぼみにそんな歴史があったとは思いもしませんでした。

 

どうかこの実話を広めて頂きたいです。そして戦争のない世界を心から望む人を増やせるようにご協力お願いいたします。

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